現在、ピン芸人として、抜群の安定感を感じさせる存在である今田耕司さん。
実は、今田耕司さんは、とある芸人さんとコンビを組んでいた過去があるということを知っていらっしゃるでしょうか?
22日(金)は、番組MC今田耕司のアナザースカイ釜山。
今田さんにとって初めての海外。
サプライズであの芸人さんが!
さらに、今田さんの人生を紐解くべく地元大阪にも。
#日本テレビ #ANOTHERSKY#今田耕司 #中条あやみ #韓国 #釜山 #大阪 #想い出の場所 #初めての海外 pic.twitter.com/h0aT9uCnip— 公式_ANOTHER SKY (@ANOTHERSKY_NTV) 2019年3月15日
今回は、今田耕司さんが、かつてコンビを組んでいた芸人さんが一体誰なのか。そして、そのコンビをどのような理由で解散してしまったのかついて、調べていきたいと思います!
今田耕司元相方はほんこんだった
(※左側が、ほんこんさんです^^)
今田耕司さんの元相方はなんと!ほんこんさんでした。
お二人がコンビを組んでいたのは、 NSC(吉本総合芸能学院)にいた時代、いわゆる駆け出しの頃のようですね。だからでしょうか? あまり、今田耕司さんとほんこんさんの二人がコンビを組んでいたという事を知らない方も多いようです。
当時の NSC の同期の中には、板尾創路さんもいたそうで、現在も活躍されている芸人さん達が周りに多くいたようですね。
ちなみに、皆さんの中には今田耕司は東野幸治さんとコンビを組んで、「W(ダブル)コウジ」として活動していたのでは?と思っている方もいらっしゃるかもしれません。
出典元:http://news.livedoor.com/article/detail/7954627/
「Wコウジ」に関しては、今田耕司さんと東野幸治さんが二人で組んだユニットの事を指しているそうですが、あくまで二人は『ピン芸人』という立ち位置をキープしており、正式にコンビを組んだ訳ではないそうですよ。
今田耕司とほんこんのコンビ名は「ダブルホルモンズ」
今田耕司とほんこんさんが NSC 時代に組んでいたコンビ名は、「ダブルホルモンズ」でした。
当時、今田耕司さんは「上ロース」、ほんこんさんは「骨付きカルビ」という芸名で活動をしており、今田耕司さんがツッコミを担当し、ほんこんさんはボケ担当だったそうです。
ネタ作りはほんこんさんが作っていて、例えば、節水に関する内容テーマにして漫才をしていたそうですよ。
(「節水」に関するネタ、、、いったいどんな漫才だったのでしょうか?)
今田耕司とほんこんのコンビ「ダブルホルモンズ」解散の理由は?
今田耕司さんとほんこんさんのコンビ「ダブルホルモンズ」が結成されるも、残念ながら解散の形をとる事に。
今田さんが NSC に入学したのは1985年、解散したのは1986年のことで「ダブルホルモンズ」としての活動は決して長くなかったのですね。
それでは、お二人のコンビ「ダブルホルモンズ」解散の理由は何だったのでしょうか。
今田は定時制高校を卒業後、1985年にNSC(吉本総合芸能学院)に入学した。その後、同期のほんこんとコンビ「ダブルホルモンズ」を結成し。今田が「上ロース」、ほんこんが「骨付きカルビ」という芸名で活動していたという。
だが今田のずぼらな性格から、ネタ合わせなどで3時間も遅刻することがあったとか。
今田耕司さんがずぼらな性格だったというのがとても意外でした!(むしろ几帳面というイメージが私の中にあったので)
どうやら、ずぼらな性格だった今田耕司さんと、真面目なほんこんさんとの間にズレが生じてしまったようです。そして最終的には、ほんこんさんの方からコンビ解消を伝えたそうです。
「ダブルホルモンズ」解散後、今田耕司さんはピン芸人としての活動をスタートする事となります。今となっては、今田耕司さんもほんこんさんも、ピン芸人としてそれぞれ確固たる地位を築かれているので、そんな二人が元相方同士だったという話はすごいなと感じました。
最後に
今回は、お笑い界の第一線、そして司会者としても安定の活躍振りを見せている、今田耕司さんの元相方が一体誰なのか、ということについて調べてみました。
「元相方か一体誰なのか」などは、あえて調べてみないと知る機会がなかなかないですが、いざエピソードを知ると、ますます興味が湧く気がしましたよ^^
これからも、テレビやステージなどで、今田耕司さんの更なる活躍を楽しみに拝見していきたいと思います。